私を片付ける

良い人生は自ら望み自らつくる

やめました、自然派ママとの付き合い。自然派の犠牲チルドレンの私が語る。

妊娠してからというもの、なんだかイライラ、もやもや。

妊娠中、私がしていたことといえば、

日々入ってくる怪しげな情報を跳ね返すためのエビデンス探しばかりな気がします。

何をやってるんだ、せっかくの時間を。

赤ちゃんのための編み物をしたり、のんびり過ごしたかった…

 

トンデモを信じて、いらない情報を運んでくる人とは距離を置くことにしました。

モノだけでなく、友人や情報の選別は大事。

私、人一倍そういう類の話に敏感です。なぜなら、私の家族は新興宗教の犠牲者だから。

 

 

実母や自然派の先輩ママが、良かれと思って言ってくる些細な一言。

伝統、習慣の名の下に当然のような顔をして入ってくる情報。

私が大っ嫌いな、トンデモやエセ科学

 

その度に、実母には「それは間違ってるよ、ここにこれこれこう書いてあるから」と返信してきました。

母に特別、強いこだわりがあるわけでもないので、大概の場合、「あら、そうなの」で終わるのですが、

歳をとっているせいと、宗教やこれまでの生き方から基本的にそういうマインドセットになっているので、また似たような別の情報を持ち出してくるだけで、いたちごっこ

その度に私は辟易として、ぐったりするのですが、何度言ったところで、

本人に問題意識もないし、結局、彼女の知識がアップデートされることは永久にありません。

彼女の価値観が変わったりもしません。

 

また、基本的には他人の子育ての方針には口を出すべきじゃないと思っているので、先輩ママの友人には言えません。

どうせ言っても信じないものです。

下手に刺激をしても、良くない結果にしかならなさそう。

「色んなのがあるのね〜」と適当にかわしてきたのですが、

精神的にはとてもかき乱されます。

 

私の両親は神道系の新興宗教にどっぷりでした。

手かざし系の代替医療を取り入れた宗派の中でも、昭和から平成にかけてのある時代、特に信者の人生を犠牲にした献金やマインドコントロールが激しく、問題となった宗教です。

裁判などがあったため、旧体制を改め、今現在は以前ほど危険性は少なくなった

ようですが、基本的な信仰は変わっていません。

現在では、美術館なども保有して、まるで何事もなかったかのような顔をしていますが、多くの犠牲者たちへの正式な謝罪や賠償は未だありません。

子供時代の私は、この誤った自然派信仰のど真ん中にいました。

病気やアレルギーになったら、「体の中の毒素が外に出ようとしているから、いいことだ」として、

薬や病院はNG。

手かざしと、”御水"という名の、ただの水を一口。

痙攣を起こしたら、「狐の霊が憑いている」。

私の弟が、先天性の心臓病を患っていたことから、両親は弟を人質に取られたような状態でした。

長い話になるので、この件はまた別記事で書こうと思います…

ちなみに、最も信仰に人生を捧げた父は、脳卒中で死にました。

56歳でした。

卒中を起こして倒れているのを母が発見した時、救急車を呼ばずに、手かざしをしました。

3分間の、手かざし。

場所を変えて、また3分間。

脳卒中などの緊急を要する救命措置において、この3分間が意味するところを理解できない人間はいないでしょう。

少なくとも、真っ当な教育を受けた現代の私たちなら。

 

私は、子供の時から家族で一人だけ、この宗教に懐疑的で、ずっと抗ってきました。

それによりもたらされた家庭内暴力は凄まじいものでした。

また、家庭は金銭的にも破綻していたため、両親は複数回、法的な破産手続きをしています。

 

 

自然派のお産、自然派育児、代替医療

実家を出てからはとうに過去のものになったこれらのトンデモ話が、妊娠してからというもの、ちょこちょこ入ってくる。

まことしやかに、あたかも科学的裏付けがあるかのように荒唐無稽な根拠をもってして、≪善意≫の熨斗をつけて、

ふんわり優しく、ピンクと白のデザインをまとって、笑顔で私たちの生活に入り込もうとしてくる"なんでも自然が一番いい"という考え方。

 

基本的に私はネットの情報よりも、本を読むようにしているのですが、

もし怪しげな情報を聞いたら、必ず、その反対意見も検索します。

すると、「発信された情報のその後」を見つけることができます。

 

大概の場合、

・論文データ捏造があったことが後に発覚

・データの取り方に明らかな問題があったことが指摘されている

・特定の思想を持った団体が絡んでいる、またはそれらからの不正な献金が発覚

・論文が撤回されている

・科学的根拠なし、と医師が否定している

・裁判沙汰になって、誤りが訂正されている

などが、わりとすぐ出てきます。

ちょっとワードを変えて検索するだけで、すぐ出てくる「発信元のその後」なのですが…

なぜか、何年も前に既に否定されて決着がついているはずの、オリジナルの情報だけが、まことしやかに伝えられていってるんですね。

 

検索結果は、「こうであってほしい」という検索ワードに正直です。

たとえば、リンゴが体に悪い、という説を聞きかじって調べようとしたとき、検索ワードは「リンゴ 毒」となります。

すると、リンゴは毒だと主張している人たちのページばかりが出てきます。

それらは全体のうちのごくごく少数派の誤情報や古い情報であったとしても、そのような全体像は検索結果からは見えません。

カルト的トンデモでは、一般に信じられている説、科学や医学を否定しますから、

「リンゴ 健康」で検索して出てくる大多数の真っ当な情報はもう"悪"になってしまう。

リンゴも食べすぎたりリンゴだけを大量に長期間食べれば体に良いとは言えないですよね。

毒と薬も、そういう関係にあるものじゃないでしょうか。

 

「〜らしいよ」なんて話を聞いた時は、以下のことが大切だと思います。

いつ、誰が、どこで、どう、言っていたことがエビデンスになっているのか。

そのエビデンスに信憑性はどのくらいあるのか。

根拠となる実験やリサーチはどう行われたデータなのか。

論文を書いたりアカデミックなリサーチをする上では当然の、こういう基本は、大衆には無視されがちです。

忙しいママたちの中に、わざわざエビデンスエビデンスまで検索して検証したりする人が何人いるでしょう。

疑似科学を基にしたふわふわした情報、検索結果の頭の方に出てくる、不確かな媒体が生活の隙に入り込んでくるのは、もう許せません。

 

日本語だけでなく英語で検索してみるだけでも、触れられる情報の質も量も変わってくるのですが、

だからといって英語圏は何でも正しい情報ばかりかというと、そうではないようです。

フェイクニュースが勢力を広げているのは世界共通の問題です。

それなのに、日本の情報には「欧米では〜」と、あたかも欧米が常に正しく新しいかのように書き立てるものも多いです。

欧米だからといって必ずしも先進的で革新的で、正しいわけではありません。

 

 

自分と自分の家族を守れるのは、正しい情報・知識だと思っています。

だから、もう、おかしな情報を私の人生に持ち込むものは、捨てる。

不要な人脈と、情報は片付けます。