私を片付ける

良い人生は自ら望み自らつくる

貧乏神はうちにいるのか?

 

今、この本を読んでいます。

なかなか面白いです。

座敷わらしに好かれる部屋、貧乏神が取りつく部屋

座敷わらしに好かれる部屋、貧乏神が取りつく部屋

 

基本の片付け方は、こんまり式ときめき法と共通しています。

 

自分がどうしたいのかクリアになる

必要なものだけ選び取れるようになる

片付く

 

 

貧乏神、という視点が面白い反面、

片付けないと貧乏にまでなってしまう、不幸になってしまう!と、神経質な私は強迫観念に囚われそうな気もします。

まだ最後まで読んでいないのですが。

 

 

この本を読み始めた当初は、

「やばい、産後、実母が貧乏神を置いていった!?」

とすら思っていたのですが、

半分くらいまで読んだ今思うことは

「貧乏神なんて、うちに入って来れるはずがない」。

ないです!

仮に置いていこうとしたって、うちは居心地が悪くて住み着けないはず。

 

 

あんなに片付いた部屋を手に入れて、人生の選択も思いきれた私なのに、

産後すっかり片付いていないことで、

「もう人生おしまいか!?

私も親のようにこのまま散らかった部屋と、めちゃくちゃな人生を転がり落ちてしまうのか?!

それだけは嫌だ!片付けないと!」

と、途端になにもかもうまくいかなくなったような気がしていたのですが、

ただ慌ててしまっているだけなのではないか?と思いました。

片付いていないことで、生活に支障は出てしまっているけれど、

人生そのものがうまくいっていないか?というと、そうではない気がします。

だから、怖がらなくていいんです。私。落ち着け、私。

 

私は一度、片付けたことがあるんだから、今散らかっていても、これは一時的なことです。

 

冷静に見ると、

 

・子供のモノが増えたこと、その置き場所が定まっていない。

・また少し人生が進んだので、今とこれからの自分にはもういらないモノが出てきた

・子供のいる環境に合わせて部屋の使い方、収納場所を変えたい。

 

これだけのことです。

本当は出産前に済ませておく仕事だったのですが…

切迫早産の恐れありで、予定より早く身動き取れなくなってしまい。

かつ、予定よりも早く産後復帰してしまったがゆえに、この遅れを取り戻すための時間がなかった。

 

それだけのこと!

どうでしょう、何も、慌てることはありません。

失う恐怖にかられると、人はモノを溜め込もうとしてしまいます。

せっかくうまくいっている人生を失いたくない気持ちに駆られると、

モノは溜め込む反面、お金は遣ってしまう。

 

産後、私は何か失ったでしょうか。

少しの時間くらいじゃないでしょうか。

けれどその時間で得ているものは多いです。

 

・愛情深い夫はいつも協力的で、優しく、産後もこれまで以上に愛をもって私たち家族を支えてくれている

 

・子供は健康で、とにかく可愛い。よく寝てくれる子だし、育児自体に悩みはほとんどない。

 

・夫の家族は医療関係者ばかり。私を受け入れてくれていて、いつもサポートしてくれている。

 

・子育てを助けてくれるポジティブで明るい友達が、産後むしろ増えた。みんな子供を可愛がってくれていて、本当に助かっているし、嬉しい。子供も楽しそう。

 

・ブランク少なく復帰したことで大変なこともあるが、家の中にいるよりもやりがい、刺激があって楽しい。世界が広がって、結果育児にも良いことが多い。

 

 

このように、何も失ってはいないし、親のようになるだなんて、怖がる必要もありません。

怖がってしまった私は、要らないものも自分で集めてしまった気がします。

新興宗教のようなおかしな情報や腹の立つ情報を目にしてイライラしてるのに、そういうことを言ってくる友人とだらだら付き合ったり、

もう会いたくないなと思っていた母親につい自分から連絡をして嫌な気分になったり。

妊娠出産子育てと、初めてで責任も大きいことを抱えて不安で、かつ孤独を感じていたのだと気がつきました。

 

今、片付けがまた必要なのは、これからの人生をどうしたいのか考えるターニングポイントが近いからなんでしょう。

 

堂々と、自信を持って、片付けを進めていこうと思います!

それすなわち、堂々と自信を持って人生を歩んでいくということ!